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どもども(^−^)今月の特集を首をながぁ〜くして待っていた特集ファンの皆さん♪今月の特集は【キング・オブ・ロックンロール】エルヴィス・プレスリーと行きますよ〜v(≧∇≦)v 知られざる彼の生い立ちや成功の光と影をお楽しみください。



 世界中で最も稼いだと言われるエルヴィス・プレスリーがこの世に誕生したのは1935年のことです。お父さんはバーノン、お母さんはグラディス。アメリカの南部にある田舎町、チュぺロで産声を上げました。

 当時のエルビス一家はお世辞にもお金持ちとは言えない生活をしておりまして、お父さんが180ドルの借金をして立てた家で暮らしてました。その家はとても小さく「ショットガンハウス」≪玄関から散弾銃を打っても、弾が飛び散るまもなく突き抜けるほどの小さな家と言う意味(^^;;)≫などと呼ばれていたそうですo(ToT)o  しかし、そんな小さな家すらも1938年には借金の方に取上げられてしまうのです。。。。

 その後、借家や親戚の家を転々とし暮らして生きます。母のグラディスはそんな切迫した生活の中で自分を追い詰め潔癖症になっていきました。その母に育てられたエルヴィスも3歳からどこに行くにも自分専用のナイフとフォークを持たされていたそうです。

 そんな毎日を不安と落胆の表情でおくる母にエルヴィスはこう言いました。【ママ、心配しないでいいよ。僕が大きくなったら大きな家を買ってあげるよ。おかずを買うお金だって僕が稼ぐし、キャデラックも2台買うよ。一台はパパとママので、もう1台は僕のだ】 といって慰めたそうです。3歳にしてこんなことが言えるなんて包容力のある子供だったんですねぇ〜


 そんな生活の中、父バーノンは1945年にローンで家を購入します。しかし、1946年にはそのローンも払えなくなり隣町の黒人居住地区の近くに引っ越すことになります。 当時は黒人差別が厳しく黒人居住地区の近くに住むということは、あまり良いことではなく、喜ばしい事でもありませんでした。

黒人差別などの大人のエゴの世界にとらわれることのない、心の綺麗なエルヴィス少年は黒人ゴスペルの魅力にはまっていくのであります。そして近隣の黒人と親しくなり、毎週のようにミサに参加し聖歌隊に参加するようになったのでした♪

そして10歳のエルヴィスは子供の日タレントコンテストで見事に準優勝(^-^)v 始めてギターを手にしたのもこの頃で11歳の誕生日にデュペロ金物店でママから買ってもらうのです。余談ですが、このデュペロ金物店は今でも存在していまして、店のオーナーは多くの観光客が訪れると、決まってこの話を自慢げに話してくれるそうです♪

そんな生活の中でもエルヴィス一家の生活は楽にはならず、一家は夜逃げ同然に都会メンフィスに引越しをします。巨大な古屋を改造した一軒家で16もの家族が同居しお風呂も台所も共同で使っていたんだそうです。。。ちょっと想像できない生活環境ですよねぇ(=△=)

最悪の環境から進展したのは1949年。アメリカの低所得者向け計画住宅に入居を許可され引越しをします。ここでエルヴィスは近所の黒人達(その中にブールースミュージシャンBBキングもいたんですよっ)が楽しんでいたブルース、リズム&ブルース、ゴスペルに深くのめりこんでいくのです。


 高校時代のエルヴィスは、メンフィスの歓楽街であり当時の黒人文化の最先端であったビール・ストリートに入り浸るようになっていました。そして近くの教会で出会ったデキシー・ロックという女の子を恋人にします。。。そして数多く開催されていたゴスペルのコンサートで二人でデートをしたんです♪

その頃の彼は黒人のファッションを真似して派手なジャケットに襟の大きなピンクやグリーンのシャツを着て髪の毛は油ギトギトのポマードでオールバックだったんです(^^;; でも、ちょっと背伸びした少年のエルヴィスも見てみたいですよねぇ〜 この頃、エルヴィスは白人ゴスペル歌手になることを夢見るようになります。

 高校を卒業して機会修理会社に就職はするものの、頭の中にあることは常に音楽やギターのことだったエルヴィスは、母親の誕生日プレゼントのためにメンフィスのサン・スタジオで4ドルをだして歌を録音してプレゼントしました。この歌が彼の今後の運命を変えることも知らずに・・・

 

  エルヴィスが音楽への夢を捨てきれないまま普通に仕事をしていた頃、サンスタジオの主催者であるサム・フィリップスは以前からR&Bやゴスペルを歌える歌手を探していました。そして、もしもそんな歌手がいたならば、必ず全米で大ブレイクする事を確信していたんだそうです。

そんなときに出会ったのがエルヴィスだったのでした\(o⌒∇⌒o)/ 出合ったと言ってもサムがエルヴィスを見つけたのは、母親のためにレコーディングしてから一年も後のことで、当時のことをエルヴィスは「君向きの歌があるからやってみないかい?今、2時だから3時までに来てくれるか?と言われて、僕は興奮して相手が電話の受話器をおろす頃にはもうスタジオについていたよ」とその時の感情を話したんだそうです お茶目なエルヴィスらしいコメントですよねぇ♪ そうしてエルヴィスはプロデビューのチャンスをつかんだのでありましたぁ( ̄―+ ̄)

 サムの予想どおりエルヴィスの知名度は少しづつ広がり、大ブレイクしたのは1956年に発売された、かの有名なヒット曲【ハート・ブレイク・ホテル】です。全米No1になり、エルヴィスの人気もうなぎのぼり♪エルヴィスは一気に白人青年達のカリスマ的存在になっていくのでありましたぁ〜(⌒▽⌒) 反抗する若者の象徴?

がっしか〜し、それは倫理的なことを好む大人達の反感を買うことになってしまうのです(`Д´)当時、【反抗する若者】が時代の象徴のようになっていき(ジェームスディーンやマーロンブランドもその反抗する若者って言われましたよね)大人達は眉をしかめながら反抗する若者達への嫌悪感を高めていくのでありますヽ(―_― )ノ

その中でもエルヴィスは白人でありながら下品極まりない黒人文化のR&Bにのめり込み、さらにその文化を若者達に浸透させようとしている!といわれジェームスディーンやマーロンブランド以上に大人達の反感をかったのでありました(`△´+)ナンダッテ!

 当時、R&Bを歌う歌手がエルヴィスだけだったか?というと、そうじゃないんですねぇ〜 これが・・・実は、フランク・シナトラやバットブーンもR&Bシンガーなんですよ(^−^;;でも、彼らはあくまでもR&Bを白人向けにソフトにかつポツプス調で歌っていまして、つまり白人向けR&Bで大人気ってなわけなんです。でも、エルヴィスは黒人らしさ、黒人のソウルを売り物にし、歌い踊ったのであります。まぁ〜結果的にそのエルヴィスの最大の売りが大人達の反感をかうことになってしまうのです。。。


 このように大人達の反感をかいながらも、エルヴィスは若者達の間に浸透し、大人気者になっていくのです。多くの人たちは、ラジオでエルヴィスの歌を聞いて、間違いなく黒人が歌っているものだと思っていたのです。

がっ!当時、普及しはじめたTVで「ハウンド・ドッグ」や「ザッツ・オールライト・ママ」を歌っているエルヴィスの姿を見たら・・・なんと白人の青年ではありませんかっ!

今では想像もできませんが、白人男性が黒人の真似をして歌い、踊っていることは、人々にとってかなりの衝撃的な映像でありまして・・・皆さんも見たことがあると思いますが、腰を大きく動かす大きなあのアクションは黒人特有のダンスでだったんですよん♪R&Bを歌ってるだけでびっくりなのに服装もダンスも真似しているエルヴィスがTV画面に登場してしまったのですから、そりゃ更に大人達の反感を増徴させたのでありました(*ヘ*)

 大人達の反感もあるなか、エルヴィスの人気はうなぎのぼり♪もうアメリカのTVだってエルヴィスに注目せざるおえなくなってきちゃいました(´―`) そこで1956年6月5日にエルヴィスは【エド・サリヴァン・ショウ】に出演します。このとき、エルヴィスはギターを持たないでマイクスタンドを巧みにあやつりハウンド・ドッグを腰を大きく動かし熱唱したのでありますぅ〜(きゃぁぁ〜素敵♪)

でも、でも・・・皆さんもここまでの話を読んでいてどんな結果が待っていたか・・おわかりですか?そうです、番組終了後に抗議の電話がジャンジャン・ジャンジャン鳴り出したのです。

有名な抗議の内容は、【テキサス州知事がエルヴィスを筆頭とするロックンロール・アーティストのコンサートをいっさい中止を発表】【ミシガン州ではエルヴィスと同じ髪型をした高校生が退学】【DJが公園でエルヴィスのレコードを600枚を焼く】【ナッシュビルではエルヴィスの人形が絞首刑にされる】【セントルイスではエルヴィスの人形が火あぶりにされる】などなど。。。

世間のエルヴィスにたいする仕打ちは、ひどいことにまでなっていったのです。今の日本の芸能界でこんなことされて黙ってる人なんてきっといないですよねぇ(苦笑)そんな冷酷な制裁を受けながらもエルヴィスは歌いつづけます。

 その後、1956年7月1日に今度は「スティーブ・アレン・ショウ」に出演します。そのときの衣装はなんとタキシード。。。しかも、エルヴィスの隣にはビーグル犬の姿。その犬と一緒にハウンド・ドックをさえない感じといいましょうか、規制がいっぱいある中で歌ったのでした(>_<、)ファンにとっては、なんともお粗末な放送でありまして、今度は逆にファンの猛抗議の電話が放送局に鳴り響くのでありました(―_― )

 

 高視聴率をとるためにライバル番組もこぞってエルヴィスに出演依頼をすることになります。例外になく「エド・サリヴァン・ショウ」も半年に3回の出演契約を結びますが、実は、この番組の司会者であるエド・サリヴァン自身も良識のある大人社会の一員としてエルヴィスの出演には断固反対していましたが、エルヴィスのあまりにも人気の高さには勝てなくついに出演を許可した。なんて事もあったそうです。

一回目の放送は82.6%と記録的な数字をたたき出します。でもこの放送もエルヴィスに対する非難の声を軽減するために、顔が写っていたほうがファンは喜ぶに違いない!てな言い訳をつけて上半身の映像しか放送しなかったのでございます(>。<)

 そして、3回目の出演のときにエルヴィスはゴスペルの曲を歌います。実はTV局的にはゴスペルはNGだったのですが、この曲に関してエルヴィスはゆずりませんでした。そして、母の大好きだった曲「谷間の静けさ」を歌うのです。

すでに3回目の出演でエド・サリヴァンはエルヴィスのことを諸悪の根源のようには思ってはいなかったのでしょう・・・歌い始める前にエド・サリヴァンはこう言ったそうです。「彼はハンガリーの動乱に心を痛め全国の皆さんに救済を訴え、彼自らも慈善公演を行い教会や赤十字への寄付を呼びかけています。次に歌うのは…彼の希望を託した曲です。”谷間の静けさ”です。」

3回の出演の中できっと二人はいろんな話をして、エド・サリヴァンは見かけだけでは、知ることのできないエルヴィスの魅力に気が付いたのでしょう。そして、エルヴィスが歌い終わった後にエド・サリヴァンは全米の視聴者に向けてこう言ったのです。【これからエルヴィスは映画出演の為にハリウッドへ向かいます。しばらく会えませんが言っておきたいことが一つだけあります。それは<エルヴィスは実に立派でまじめな若者だ>ということです。私の番組に出演してくれたスターは沢山いますが、君たちが一番良い気持ちにさせてくれた。君はホントにいい青年だ!皆様大きな拍手を…】

人間って気のしれた同士になってからこそ、お互いを理解しあえるようになるべきですよね?でもエルヴィスはそんな本来の姿をわかってもらえず社会現象にまでなってしまいました。大好きな歌をうたって勝手に体が動くだけなのに、何故、人々はロックンロールをましてやエルヴィスを諸悪の根源のように言ってしまったのか・・・

きっとエルヴィスはどんなに深く悲しみ、孤独を味わったことでしょう。でもエルヴィスのそんな自分らしく生きることが偏見を持った大人達の心を開かせたのでありましたv(≧∇≦)v

 

 その後はキング・オブ・ロックンロールと呼ばれ数々のヒット曲を出し、多くの映画にも出演しました。皆さんにもエルヴィスのお気に入りの一曲があるのではないでしょうか?100歩ゆずってエルヴィスの曲名を知らなくても、きっと青春もののアメリカ映画を見たことがある人ならぜったい聞いてるはずです。

エルヴィスは本当に彗星のごとく現れ、そして多くの作品と曲を残し1977年8月16日午後3時30分に、テネシー州メンフィスの彼の自邸「グレイスランド」の2階のバスルールで発見され42歳7ヶ月と10日という短い生涯に幕を閉じました。

 しかし、当日の午前中までラケットボールを楽しんでいたということから、死亡が偽装ではないかとか、死因は薬物だったのではないかとかという憶測が行われたようですo(ToT)o

エルヴィスの死後から20年以上たった今でも、ファンの間では、エルヴィスの生存説が繰り返し話題になります。それは何故か・・・実際にエルヴィスは死んでしまったけれど、アメリカの人々の心にはエルヴィスのロックンロールが今も生きているという証がエルヴィス生存説がいつまでも話題になる理由なのかもしれません。

 日本人の私たちにアメリカのロックンロールのカッコよさを教えてくれたエルヴィスに敬意を表しつつ今月の特集を締めくくらせてもらいたいと思います。ご精読ありがとうございましたぁ♪"( ^ - ^ )ノ~~マタネー☆'.・.・:★'.・.・:

 

 
 
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